04/05/27 元アイドルのY.MさんからO君へ。

「10年もたってしまったね・・・。

今あなたはどこにいますか?
もう結婚して温かい家庭を築いていますか?
ずっと忘れてたはずだったのに・・・今になって、苦しいほどにあなたを思い出しています。
なぜなのかわからない…でも、どうしようもなく・・・あなたに逢いたい・・・。」

私は20歳で東京に上京した。歌手を目指しての、スタートだった。
でも、歌手どころか私はグラビアモデル的な仕事と歌のレッスンに通うだけの毎日だった。
そして、当然バイトをしなければ生活できなかった。
まだ右も左もあまりよくわかっていなかった私は、モデル仲間の紹介で渋谷でバイトすることになった。
そこのアルバイト先で、数ヶ月後にアルバイトで入ってきたO君。
大学生で、偶然同い年だった。

東京の街はまだ慣れず、歌手になりたい、芸能界デビューしたい、という私の夢を利用してだます人もいた。
なんの目的だったのか、「ホリプロの社長に紹介するよ。」という言葉で私を誘った男がいた。
私は何もわからずその人と待ち合わせ、食事をした。その時に自分がどんな思いを持って上京してきたか、など真剣に話をした。
そして、場所を変えてBarに行き、そこにホリプロの社長が来る、ということで、ドキドキして待っていた。
少しして、男は「ちょっとトイレに行って来るね」と言って席をたった。
そのまま、待つこと30分。
おかしく思った店のバーテンさんがトイレを見に行ってくれたが、男はいなかった。
そう、結局ダマされたのだった。
私に同情し、バーテンさんは支払いは私の分だけでいい、と言ってくれた。
半泣きで家に帰ると、家の電話の留守電に「あ〜…Oですけど…。また…電話しますー。」というメッセージ。
傷ついた私の心に光がさすように、ホッとしたのを覚えている。
O君は、私がバイト先から自分の自宅に留守電を聞くために電話したのを見ていて、番号を知ったらしく…。
結局、それがきっかけでO君と電話をするようになり、デートのお誘いを受けた。
初めてのデートは上野動物園。
明るくふざけてばかりのO君が、夕方になって、初めて真剣な顔をして言った。
「あのさ、俺、Yちゃんのこと好きなんじゃんね。だから・・・付き合ってもらえないかな。」
私は、当時地元名古屋に、きちんと別れていなかった彼氏がいた。
だから、そのことを伝えた。
O君は「別れるつもりなの?じゃあ待ってる。いつでもいいから、待ってるよ」と言ってくれた。
なぜかO君は初めての電話から、ホッとした。温かい空気が流れた。
私は、名古屋の彼とちゃんと別れ、O君にそのことを伝えた。
次のデートでは、東京タワーに行き、そこの最上階の展望台で、私たちは初めてキスをした。

私たちの付き合いは、すぐバイト先の店長たちの耳にも入った。
そして、店長や副店長たちとO君も仲良かったため、皆で遊びに行ったりもした。
初めてテニスをしたり、スキーに行ったり、バーベキューをしたり・・・横浜シーパラダイスにも何回も行った。
2人で遊ぶというよりも、たくさんの仲間と、ということもとても多かった。
当時携帯電話がなかったため、家の電話で話すことしか連絡手段はなかった。
けれど、バイト先でほとんど毎日顔を合わせ、休みの日には会い、お互い一人暮らしだったため、お互いの家を行き来したり、彼と過ごした日々は本当に純粋に幸せだった。
彼も友達が多く、グループでの遊びも多かった。
彼が熱を出して寝こんだ時には食材を買って、料理本を持っていき、おかゆと煮魚を作った。
彼は、「なんかさー、ここまでいい子だと思わなかったよ。なんか、いいなーってさ。思うよ。一緒になりたいなーって…。」と。
私は「それってプロポーズーー?そんなん、まだ早すぎるよー」と。
彼は「もちろん、そんなのずっと先だよ。いつか、そうなれたらいいなーって思ったんだよ。」と。

私の22歳の誕生日、彼は「ちょっと、スーツ着てきてよ。」と。
なんだろうと思いながら、会った彼もスーツ。
どこへ行くのかと思えば、横浜のちょっといいホテル。
ホテルにケーキとシャンパンも頼んであり、最上階で夜景を見ながら、私は最高の誕生日を迎えた。

3年とちょっと、の付き合いだった。その間、ケンカしたのはたぶん1回か2回くらい、少しだけ意見が食い違った、というくらいのものだった。
本当に、彼と過ごした日々はすべてがうまくいき、そのおかげか、私は歌手デビューも果たした。
大物芸能人たちともたくさん出会い、芸能界付き合いというものが増え、彼と会う日が少なくなった。
彼も大学生から社会人となり、仕事で疲れ、寝るために家に来る、というような日もあった。
私は、芸能活動の方でほとんど家にいなくなった。
彼という存在は必要でなくなっていた。いや、そう思っていた。
「潮時」という言葉がピッタリという感じの、別れだった。
私が別れを口にすると、「そう、言われるカナと思ってた。仕方ないね…。」と、私に背を向けたまま振り向かずに去っていった。

しばらくして、私は地元名古屋で、昔好きだった人に再会した。
運命だと思った。そして、またすぐに好きになり、交際が始まった。
しかし、暫くしてその人は結婚している、ということを知り、ショックを受けたが、付き合いがやめれなかった。
そんなある日・・・。前のバイト先に顔をだすと、O君も偶然来ていて、再会した。
彼はとても疲れた顔をしていた。
そして、「彼氏できたの?」と。「出来たよ。でも・・・結婚してた…。」というと「そんなの、やめたほうがいいよ。ろくなヤツじゃないよ。」と言われた。バイト先の店長たちは、「あいつ、そうとうヘコんでたよ。」と話していた。
彼に会ったのはそれが最後だった。
結婚している彼との間に、命が芽生えた。
動揺した私は、すぐに産む事を決意した。
そして、芸能界も引退し、実家に帰り、彼の離婚を待って結婚した。彼の離婚と出産が同時だった。
O君がろくでもないと言った彼は、本当にろくでもなかった。
DVの精神的苦痛バージョン。
異常な嘘。浮気。隠し事の山。隠し金。言葉の暴力。毎日泣いていた。毎日、ガマンの日々だった。
2人目が生まれてすぐ、浮気の証拠をつかんだ。計4人の女がいた。
それがきっかけで、離婚することができた。
それから、シングルマザーとして実家で暮らし、看護学校へ通った。
2年で准看の免許をとり、正看の学校へ進学した。現在1年生。
離婚後、何度か恋をしたが、1ヶ月で別れるということがざらだった。
ひどいヤツは、1ヶ月で元カノに戻り、元カノとバッティングし、修羅場を経て別れたものの、元カノに戻っていた、ということもあった。
長くて7ヶ月くらいの付き合いで、現在は友達以上恋人未満のような人が数人いる。しかも、13歳年下とかありえない年齢が多い。
O君を思い出すのは、たぶん満たされていないから…。
あんなに、お互いを想い、変わることなくずっと好きでいられる人、毎日笑っていた人など、O君以外にいない。
昔、何かの本で読んだ事がある。
運命の人と出会うと、何もかもがうまくいくんだと。仕事も、人間関係も、お金も、すべて。
私はO君と出会い、付き合ってから、すべてがうまくいっていた。
お互いに遊んでるように見られる容姿だったにも関わらず、浮気の心配など全くなかった。
そんな人はもう、二度と出会えないかもしれない。
あのままO君と付き合い、結婚していたら、もっと幸せだったのだろうか・・・。
今の、こんな涙は流さなかったかもしれない。
もし、運命の人だったらどこかでまた会える。
そう思いながらも、もう10年が経ってしまった。
もう、どこで何しているかもわからない。
ただ今あるのは、写真の中で笑っている二人だけ。
なぜ、今こんなにもO君を思い出して泣けるのか。
なぜ、こんなにも愛しいのか。
わからない・・・。

でも、もう一度、逢いたい・・・。



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